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もっと知りたい!巨人13連敗と由伸監督の苦悩

 

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YouTube版→読売ジャイアンツワースト13連敗と高橋由伸監督時代の巨人の苦戦 【ゆっくり解説】

ブログ版→由伸巨人の憂鬱  悪夢の13連敗と苦悩【ブログ増補版】

由伸監督就任の裏側と本音

  2015年のクライマックスシリーズ終了後、原監督は退任を表明。賭博問題の余波に揺れる中、巨人は新たな監督を立て再スタートを切ることになった。

 次期監督候補として、江川卓、川相昌弘らの名前が上がったが、10月23日、球団は高橋由伸新監督の就任を発表。同時に現役の引退も発表された。

  この高橋由伸監督就任と引退には、驚きとともにショックを受けた人、引退に納得がいかない人など様々な反応が見られた。今回はこの監督就任の裏側と、巨人監督就任の条件について見ていこう。

由伸監督就任の経緯

画像:由伸監督と球団社長の面談が行われた「パレスホテル東京」

画像出典:Wikipediaコモンズ Rs1421 – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=22735404による

 2015年10月20日、原監督の退任会見のその翌日、東京都内の自宅でくつろいでいた由伸の下に、一本の電話がかかってきた。新監督就任の要請の電話だった。その日の内に東京・千代田区のパレスホテル東京で久保博球団社長らと由伸の面談が行われ、由伸は正式な次期監督の就任のオファーを受けた。前日に原監督の退任会見から一夜明けたばかりであり、来季も現役選手としてプレーするつもりだった由伸は驚いた。球団社長ら幹部との話し合いは50分間続き、球団は由伸に監督就任を受諾してもらうため、入団時の恩師である長嶋茂雄終身名誉監督のメッセージを用意していた。

 「高橋君しかいない。自分は39歳のときに監督になった。高橋由伸君は今、40歳。今のチームは若い監督が率いて大きな切り替えをやる時期だろう。私ができることは何でもサポートします」

 ミスターからのお墨付きをもらい、監督就任へ向けたお膳立てが進む中、由伸は原監督にも自ら電話を入れる。原前監督には、「何かあれば力になれること、相談に乗れることは全力でする」というメッセージをもらった。

 一回目の交渉では監督要請を受諾するか、結論を先送りした。しかし、長嶋監督直々の言葉をもらったこともあり、事実上ここで監督就任は決まった。「僕自身、兼任ということはない。とても両立は難しい」と、選手兼任監督の可能性をはっきりと否定した。現役引退も覚悟しての発言だっただろう。

 3日間の熟慮の後、由伸は監督オファーを受け入れることを決断。10月23日、渡辺恒雄取締役最高顧問、白石興二郎取締役オーナーと面会の上、翌2016年シーズンからの監督就任を受諾することを報告、同時に2015年シーズンをもって現役を引退することを表明。

 10月26日にはパレスホテル東京にて、監督就任会見を行った。高橋新監督は「今まで先輩たちが作り上げた伝統を守りつつ、自分らしさも出しながら、覚悟を持ってまい進していきたい」と抱負を述べた。

 同時に由伸は監督就任を受諾した心境について、「(選手を)まだまだ出来るという思いはあったが、現役選手だった僕に監督を要請するのは、球団も相当の覚悟があってのこと。僕自身も覚悟を持って決断した。僕にはまだまだ指導者としての経験がないが、強い覚悟を持たないと前に進めないと思う」と説明した。

 オフシーズンに引退表明をしたため、引退試合は行うことができなかった。その代わりとして、11月23日のファンフェスタ(東京ドーム)で高橋の現役引退式並びに監督就任セレモニーが執り行われた。

由伸本人の心境は?

 会見など言葉の上ではかなり前向きに監督就任を受け入れていた由伸だったが、実際のところ現役生活への未練や監督就任への困惑などはあったのか。

 監督退任後の2020年12月に投稿された、上原浩治のYouTubeチャンネルでの対談の中で、由伸は次のように述べている。

 原監督退任会見後、急な監督要請ではあったが、9月頃から原監督が今年限りで監督を辞めるのではないか、という噂は由伸の耳にも入っていた。そして後任監督候補として、江川氏、川相氏と自身の3人の名前が候補として上がっており、その3人の中なら自分が監督になるだろう、と薄々予感はしていたと述べている。

 また、由伸本人は、「辞め時を探っていた」とも語っている。18年目・40歳を迎えていた由伸は、どこまで現役を続けるか悩んでいた。キリの良い2,000本安打も残り247安打と、区切りになりそうな記録も見当たらなかった。周囲からも辞め時について気を使われているのを感じており、監督就任要請は、引退を決断するのにキリの良いタイミングだと思った。

 以上の内容を動画内にて語っている。

引用元:上原は戦力だった?就任要請はどんな?高橋由伸が監督時代の舞台裏をぶっちゃけてくれました/上原浩治公式YouTubeチャンネル

https://youtu.be/VdO-W52RD7w

 周囲が思うほど現役への未練は無かったのかもしれない。とことん自分の欲を出さず、周囲からの高い期待に応えようとする。これらのエピソードからも、高橋由伸という人の、責任感の強さと実直な人柄を感じさせられる。

由伸巨人の敗因~若手育成とFA補強~

「育成の巨人」の挫折

 由伸監督時代の敗因はいくつかあるが、今回は二つの大きな要因を挙げる。それは、投打の若手選手の伸び悩みである。

  かつて巨人は1993年オフのFA制度導入以後、FA選手の獲得や国内で実績のある外国人選手の引き抜き、トレードでの獲得などの手段で多くの大物選手を他球団から獲得してきた。彼らの活躍が優勝に貢献した一方、ドラフト指名された若手の出場機会を奪い、長距離砲ばかりをそろえた打線になるなど、かなり歪な選手構成になってしまう側面も見られた。それが結果的に堀内監督時代の低迷に繋がってしまったことは以前の動画で述べた。

 その戦略の反省もあり、2000年代後半以降は高卒・育成選手を多く指名。若手の実践機会を増やし、育成環境に投資するなど、選手育成に力を入れてきた。この戦略が一時実を結び、2006年高卒ドラフト1位の坂本勇人が2008年に遊撃のレギュラーに定着し、不動のレギュラーになる。また、育成選手から山口鉄也・松本哲也が戦力となり、いずれも新人王を獲得した。この他、鈴木尚広・矢野謙次・西村健太朗・亀井義行・越智大祐・脇谷亮太ら生え抜き選手が一軍戦力として定着。これら戦力の台頭は一時「育成の巨人」として話題となった。彼らは巨人の選手層を厚くさせ、二度のリーグ三連覇に貢献した。

 しかし、その後は若手選手の台頭が伸び悩み始め、世代交代の遅れが目立ち始める。特に、高卒野手の伸び悩みが痛かった。2000年代後半に高卒でドラフト指名された、田中大二郎・藤村大介・中井大介・大田泰示・橋本到・鬼屋敷正人らがそれにあたる。彼らはレギュラー定着を嘱望され、一・二軍で比較的多くの出場機会を与えられながら、怪我・不振などにより一軍に定着することができなかった。

 また、投手も澤村拓一・菅野智之・田口麗斗の3人以外は伸び悩んだ。2010年代前半、ドラフト1〜4位の上位で指名された宮國椋丞・小山雄輝・戸根千明・高木勇人・桜井俊貴らの投手たちは、由伸監督時代に比較的多くの登板機会を貰っていたが、長期的にはその期待に応えられなかった。彼らの不振は、由伸監督時代の巨人の先発およびリリーフ陣の層の薄さに繋がっていった。

 こうした若手選手の伸び悩みにより、巨人はFA・外国人補強に頼らざるを得なくなり、由伸監督時代の世代交代の遅れと苦戦を招くことになる。

 松本・山口の台頭で脚光を浴びた育成選手も、二人の台頭以後は伸び悩むことになった。

 支配下登録まで漕ぎつけた選手たちも一軍に定着できず、ただ選手を余分に多く在籍させているだけになってしまった。この現状により、2011年から始めていた「第二の二軍」と称する三軍制をわずか2年で終了させている。

 高卒選手を多く指名することは、スケールの大きい選手が育つ可能性がある一方、大卒・社会人選手と比べ、高卒指名選手は一軍戦力になれないリスクが高い。また、戦力になれない場合は一軍定着すらおぼつかない選手となってしまうリスクがある。

 実際に、過去の高卒指名選手が大成せず、世代交代に苦しんだ巨人は、由伸監督政権時代の2015年から2017年の三年間のドラフトで多くの大卒・社会人選手を指名した。このうち、山本・中川・吉川・畠・鍬原・大城・若林らが一軍戦力となった。大卒・社会人指名はスケールが小さい選手になるイメージから、大量指名することがファンから忌み嫌われる傾向にある。しかし、即効性があり、確実に戦力となる選手を確保したい場合は、ドラフトで大卒・社会人を多く指名することが有効な戦略となる。(但し、彼らが総じて戦力にならないと当然ながら苦しい時代を迎える)

複数年契約・競争激化によるFA・外国人補強の苦戦

2010年代中盤頃から増加した複数年契約も巨人苦戦の要因の一つだろう。この頃から、それまで比較的資金力の弱かったヤクルト・西武・広島などをはじめとした球団が、FA権取得選手や有力外国人選手に複数年契約を結ぶようになった。これにより00年代以前と比較して、大物FA選手・外国人の流出が少なくなった。

また、FA選手・外国人選手の獲得競争も激化した。資金力においては、ソフトバンク・楽天といった新興IT球団の力も無視できなくなった。加えて単純に年俸の多寡だけで移籍先を選択せず、出場機会やチームとの相性などを重視する選手が増加した。これらの理由により、巨人が選手獲得競争に敗れるというケースも増えてきたいる。私が思いつく限り2010~2020までに巨人が獲得レースに敗れた選手を挙げると、松井稼頭央・マギー(楽天入団時)・バンデンハーク・糸井嘉男・増井浩俊・鈴木大地・美馬学といった選手たちが挙げられる。

こうした複数年契約の増加・獲得競争の激化・移籍に求める条件の多様化、といった状況の変化により、巨人は90~00年代のようなFA選手・国内の実績ある外国人選手の獲得が難しくなっていった。

そこへ若手の成長の遅れやドラフトでのクジ運の悪さによる有望選手逃し(自由獲得枠の廃止)、という悪状況が重なり、選手層の薄さや世代交代の遅れが目立つようになった。しかし、それでも巨人は毎年の優勝争いをすることが宿命づけられている。そのため、やや実績的に見劣りするようなFA選手でも大枚をはたいて獲得した。

しかし、こうした選手たちはピークを過ぎており、怪我や年齢的な衰えにより、十分な力を発揮できないケースが多く見られた。(片岡・大竹・相川・脇谷・陽・森福・野上ら)また、彼らが一軍・二軍での試合に出場することにより若手出場機会を奪ってしまい、生え抜き選手の台頭が遅れるという悪循環に陥った。

同時期、FA獲得した大竹の人的補償として広島に移籍した一岡竜司がリリーフとして活躍。加えてほぼ生え抜きでレギュラーを揃えた広島カープが黄金期を迎えたことも重なって、当時、巨人の若手の台頭の遅れはFA補強にあるという批判が多くみられた。

育成の巨人の再起と今後の補強戦略

 若手選手の伸び悩みによる世代交代に苦しんだ巨人であったが、2018年の岡本和真のブレイクで風向きが変わる。この一件で自信を取り戻した巨人フロントは、2018年以降、ドラフトで高卒の指名選手を増やすなど、再び高卒選手の育成に力を入れている。また、2016年に三軍制を創設し、育成選手の指名・在籍数も再び増加させた。

一方、FA・外国人選手の補強も減らしてはいない。2018年オフ、原監督就任に際し、巨人フロントは丸・炭谷の両FA選手を獲得。彼らに加え、岡本・中川・大城・メルセデスら由伸政権で台頭した若手の活躍が2019年、5年ぶりのリーグ優勝に繋がった。リーグ2連覇という一定の成果を見せたためか、2021年現在でも井納・梶谷・ウィーラー・中田といったFA・トレードでの実績あるベテラン選手の獲得は多い。

しかし、19・20年と連覇を果たしたものの、ソフトバンク相手に二年連続4連敗という屈辱も味わった。隆盛を極めたホークスと、リーグ優勝で精一杯の巨人が相対するという巡り合わせの悪さもあったが、巨人の育成・補強戦略がまだまだ歪であり、道半ばであることを示しているように思う。

 巨人フロントも、これまでのようにFAや実績ある外国人選手の乱獲が上手くいかないことは承知しているだろう。それが、高卒・育成選手の大量指名や、独自の外国人の発掘・育成などの方針として表れている。こうした方針が身を結び、多くの生え抜き選手が花開くのか。それともやはり上手くいかず、FA・外国人補強中心のチーム作りとなるのか。

その結果は2~3年後の巨人の成績・選手の顔触れとして表れることになるだろう。名門巨人の底力が見られるのか、それともかつてない低迷が訪れるのか、今後も注視していきたい。

 

それでは皆様、良き野球ライフを!

DAZN

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