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【ブログ増補版】掴んだ初の「世界一」の栄光 激闘!第一回WBC日本代表

 

初めての野球ワールドカップ。ワールド・ベースボール・クラシック。通称WBC。

日本は世界一の栄光を掴み取った。

その軌跡を、イチローと王監督。この2人のキーマンの発言と動向を中心に見ていこう。

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野球の世界大会

 2005年5月、MLB機構は翌年3月から、野球の世界大会を開催することを発表。7月12日、MLBオールスターゲーム開催地のデトロイトにおいて、参加が確定していなかった日本とキューバ除く14カ国の代表が出席して開催発表記者会見が行われた。そこで大会の正x式名称、“World Baseball Classic”が発表された。

 当初、日本のNPBは、MLBの一方的な開催通告やMLB中心の利益配分に反発。日本プロ野球選手会も開催時期の問題から参加に反対した。しかし、結果的にはMLBのやり方に押し切られる形で、NPBと選手会は9月16日、正式参加を表明した。

 

MLBによる、MLBのためのWBC

 WBCの主催は、MLB機構とMLB選手会となっている。これは、「世界最大の労働組合」と呼ばれるMLB選手会と利害が対立しないよう、MLB機構側が配慮したものであったことが理由とされている。大会の利益配分もMLB機構とMLB選手会が利益の大半をを受け取る仕組みとなっている。

 開催時期も早々に3月に開催することが決まったが、これもMLBの都合が大きく関係している。4月から10月までのMLBのシーズン中はMLB各球団のオーナーが納得しない。自分の球団の大事な商品である選手を、稼ぎ時には貸し出さないからである。シーズンが終わった11月には北米4大のスポーツのNFLのシーズン真っ盛りであり、NBAも開幕する。さらには中南米での国々でのウィンターリーグも開幕するので都合が合わない。しかし、3月であればNFLのスーパーボウルも終わり、メジャーリーグも開幕前である。このような理由で、MLBおよびアメリカにとって都合の良い3月が、WBCの開催時期として選ばれているのである。

 

王JAPAN誕生

 2005年10月10日、当時ソフトバンクホークス監督の王貞治は、WBCにおける日本代表の監督を正式に受託した。王監督は、代表監督就任に際し、次のように述べた。「この大会がアメリカ中心なのはわかっているよ。(中略)でもやると決まって、日本が出ると決めた以上、勝たなきゃならん。僕だって喜んで引き受けた訳じゃないけど、誰かがやらなきゃいけないんだから、『日本のために、日本の野球のために、オレがやるしかないだろう』ということだよ」と、王監督は力強く決意を明らかにした。王監督は日本野球の発展のため、あくまで日本球団に所属する選手を中心に選手を揃え、助っ人的にメジャーの選手を加える選手選考を行うつもりでいた。

 11月8日には、王は松井秀喜を四番に据えることを公の場で口にし、イチロー、井口資仁、大塚晶則に出場を打診したことを明らかにした。12月2日には、直接松井と対談し、出場を要請した。

イチローと王監督

 イチローは最初のうちは、シーズン前の3月という時期に行われる大会であることに戸惑い、果たして世界が認めるに相応しい国際大会になるのか訝しんでいた。

 しかし、そんなイチローを参加の意思に傾けさせたのは、王監督の存在だった。「WBC監督を引き受ける決断を下されたことに対して、僕は王監督の気持ちに強さを感じました。監督は『世界の王』といわれ続けた。そういうことの重さとか辛さを、僕もアメリカに来て少しだけ感じられるようになったことが、僕の気持ちを動かしたのかもしれません」

 11月21日、日本でドラマ『古畑任三郎』の撮影を終えてアメリカに帰る直前、イチローは王監督に電話でWBC出場の意思を伝えた。

「よろしくお願いします。」

「それを聞いて、ホッとしたよ」

「こちらこそ、光栄です」

「君が出てくれるのが大きいんだ」

 しかし、出場に前向きになっていったイチローに対し、松井の反応は芳しくなかった。松井は1か月ほどの沈黙の後、12月26日に王監督宛に便箋15枚に及ぶ長文の手紙を送った。その手紙の中で、出場辞退の意思を伝えた。後に松井は、ワールドチャンピオンを目指すヤンキースにおいて、3月のキャンプ・オープン戦の大事な時期にチームを離れることに大きな不安を抱えていたことを、辞退の理由として挙げている。

 さらに井口も年明けの1月6日に辞退を表明。NPB所属選手も、体の不安や練習試合中の怪我による辞退者も出るなど、第一ラウンドの開始直前まで代表メンバーが確定できない事態となった。

 

第一回WBC選出メンバーと選手起用

  最終メンバーに選ばれたのは、上図の通り。松井秀喜の代わりとして、同じく左の外野の好打者・福留孝介が選ばれた。

 野手陣は、王監督が1番にイチロー、4番に松中信彦を固定することを表明。イチロー、西岡、川崎ら走力の秀でた面子がチャンスメイクをし、福留・松中・小笠原道大・岩村明憲・多村仁といったNPBの誇るスラッガー達がポイントゲッターとなるオーダーが組まれた。

 投手陣では、先発を上原浩治・松坂大輔・渡辺俊介の三人で固定し、その後を清水直行・和田毅・杉内俊哉らが第二先発として登板。中継ぎとして右の藤川球児・薮田安彦と左の藤田宗一・石井弘寿。不動の抑えとして大塚晶則に持っていく投手起用を行っていくとした。

 

日本代表メンバーの中のイチロー

 日本代表最初のミーティングは、2月21日、福岡のホテルで行われた。初のチーム全員の顔合わせと、ミーティングが行われ、その後、選手たちは福岡ドームで最初の練習を行う。福岡のホテルで、今江・川崎はイチローと初めて対面した。それまで想像上の存在でしかなかったイチローに、川崎は緊張で真っ白になった。ミーティングの時、イチローは旧知の間柄である福留に「オレ顔だって半分しかわかんないよ」と困惑げに話した。イチローは顔と名前が一致しないNPB球団のメンバーとの距離感に困惑していた。寄せ集めのメンバーは、方向性が見えない不安に駆られていた。

 どんな大会かも分からない、選手の能力もイメージできない、まして顔も知らない選手が半分もいる。そんな不安を払拭し、チームをまとめるためにイチローが仲間に示そうとしたことは、いたってシンプルだった。

 福岡ドームでの初練習の際、ウォーミングアップを終え、揃ってランニングを行う際、イチローはいきなり全力疾走をして見せた。川崎をはじめとした皆はいきなりの全力疾走に度肝を抜かれた。「アップの時は全力で走るとか、早く来て個人で練習しているとか、そんなことは僕にとって当たり前のことで、特別でも何でもないんですけど、それをみんなが特別視してくれたことは大きかったような気がします。(中略)僕にとって、全ては野球が好きだからってことなんですよね。(中略)そこが原動力になっているんです。」

 年齢を問わず、日本代表の選手達はイチローを意識した。メジャーのスーパースターの放つオーラを、彼らは否が応でも意識させられた。それは諸刃の剣でもあった。そのことをよく分かっていたのは、アテネ五輪でキャプテンも務めた宮本慎也だった。宮本は福岡でイチローを食事に招いた。宮本はそこで、「みんなの所へ降りてきて欲しい」ということを伝えた。しかし、イチローは、「でも僕にはそんな(降りていくという)発想はありませんでした。どう考えたって僕が(リーダー役を)やんなきゃいけないという雰囲気はあったじゃないですか。だから僕は、このチームがまとまっていくために、全体の流れになんとなく入っていくことだけはやっては行けないとおもってたんです。」

 普通に振舞えば目立つことを承知の上で、イチローはあえてアクセルをゆるめることをしなかった。その一方で、日ごろは表に出そうとしない一面を隠そうともしなかった。だから、「イチローは変わった」そう言われた。

 

第一ラウンド開始

 改めてWBCの概要を見ていこう。WBCは、2006年3月、MLBとMLB選手会の主催で、16の国と地域が参加して行われる、メジャートップクラスの選手たちが初めて参加する国別対抗戦である。16カ国が4つの組に分かれて総当たりのリーグ戦を行う。参加国と組の振り分けは以下の画像の通り。各組の上位2チームが第二ラウンドに進出し、さらに第二ラウンドの上位2チームが準決勝を戦い、決勝戦で最後に勝ち上がった2チームが戦い優勝を争う方式となっている。

 日本、中国、台湾、韓国が戦うA組は、東京ドームにて3月3日から行われた。日本代表の初陣となる中国戦の先発を任されたのは、上原浩治である。

 日本からすれば格下の中国相手ではあったが、日本は立ち上がり苦しんだ。2回表、岩村の浅いフライで松中が激走を見せ先制。3回にはイチローのゴロの間に2点目。しかし、中国を突き放す得点が奪えない。そんな中、4回裏、球数制限を意識した上原は、ストライクを揃えに行ったところ、6番の王偉(ワン・ウェイ)に同点2ランを浴びてしまう。

 凍りつく東京ドームだったが、日本打線が反撃に出る。川崎の死球とイチローの内野安打でチャンスメイクをすると、西岡がレフトへ勝ち越し3ラン。これで勢いに乗った日本は、福留・多村にもHRが出て、8回に10点差がついたことでコールドゲームとなり終了。終わってみれば18対2の大勝となった。

 次は翌日3月4日の台湾戦。この日は初回から日本打線が攻勢を見せる。2番西岡のヒット、松中の死球で2アウト1・3塁のチャンス。ここで5番多村がレフトスタンド中段に放り込む先制3ラン。2回は福留の犠牲フライ、3回は川崎のタイムリーと着実に得点を重ねる。一方先発の松坂は滑りやすいWBC使用球が手に馴染まず、コントロールに苦しむ。2回には2本のヒットを許してピンチを迎えた後、投球動作中にボールを落とし、ボークをとられて失点する。松坂は4回もヒットと死球でピンチを招くも、ツーアウト一・三塁のピンチを空振り三振に仕留める。ここで松坂は球数制限を迎え、5回からリリーフ陣にバトンタッチ。5回表に日本打線が里崎・西岡・松中のタイムリーで6点を奪い、11得点と台湾を突き放した。最終的に日本は14対3で7回コールドゲームと、台湾にも圧勝した。この勝利で、すでに進出を決めていた韓国とともに第二ステージ進出を決めた。

 

因縁の韓国戦、初戦

 3月5日、韓国との第一ラウンド最終戦。アジア一位を賭けた日韓のプライドがぶつかり合う。独特の緊張感が漂う背景には、開催前の会見でのイチローのこんな発言があった。

 2月21日、福岡での公式練習の初日の会見で、イチローは「プロ野球として、勝つことだけでなく、奇麗だな、凄いな、と思わせるプレーをしたい。(中略)チームとしては、日本に向こう30年、手を出せないような勝ち方をしたい。」このイチローの独特の言い回しは、韓国メディアに挑発的な発言として受け取られて報道された。この一件は、韓国側の選手たちの闘争心に火をつけた。

 試合は日本側がアンダースロー渡辺俊介。韓国側はメジャーリーガーの金善宇(キム・ソンウ)が登板。韓国側は現役メジャーリーガー5人を含めた、日本に比肩する実力をもったチームだった。

 日本は一回裏、西岡のヒットと福留の進塁打で作ったチャンスで、4番松中がタイムリー内野安打を放ち先制。2回裏には9番川崎がライトへのHRを放ち、2対0と日本がリードする。さらに4回裏、岩村と小笠原の連打でチャンスを作ると、2アウト満塁のチャンスで好調西岡を迎える。西岡の打球はライト戦を襲った。しかし、ライトの李晋暎(イ・ジンヨン)がその打球をダイビングキャッチ。この超ファインプレーをきっかけに、次第に流れは韓国側に傾き始める。直後の5回表、先発渡辺はヒットと死球でピンチを作ると、李炳圭(イビョンギュ)に犠牲フライを浴び、この回途中で藤田にマウンドを譲った。日本打線は次第に韓国投手陣に抑え込まれていく。7回裏は先頭のイチローが死球で出塁するも、西岡のバントミスもあり、オリックスにも在籍した左腕、具臺晟(ク・デソン)に無得点に抑えられる。6・7回は杉内が完璧に抑え、8回表はセットアッパーの石井弘寿が登板。しかし、石井は肩の不調を抱えており、万全な状態とは言えなかった。一死から2番の李鍾範(イ・ジョンボム)にヒットを浴びると、迎えるは韓国の主砲、李承燁(イ・スンヨプ)。李承燁は石井の高めのスライダーを捉え、ライトスタンドに飛び込む逆転2ランを放った。その後も韓国の投手リレーに日本打線は沈黙し、アジアラウンド最終戦は3対2で韓国の勝利となった。

 試合後の会見で、記者たちの質問に王監督は語気を荒げた。その口調からは怒りが表れていた。イチローはアジアの投手とタイミングが合わずに苦しみ、3試合で13打数3安打と低調な結果に終わった。会見でこの成績について尋ねられたイチローは、「もしこれで僕が満足していたら、野球を辞めなくてはいけないでしょう」とキッパリ答えた。

 

アメリカ、アナハイムでの第二ラウンド 

 日本代表は3月6日アメリカ、アリゾナ州フェニックスに降り立った。アメリカでは、ホテルの部屋数が足りなかったり、食事の店が決まっていなかったり、練習設備が十分に確保できていなかったり、バスが道に迷って球場入りがギリギリになったりと、初大会ならではの運営面のトラブルが続出した。石井の左肩痛による離脱や、思うような練習がこなせないなどのトラブルがありながらも、日本代表はフェニックスでMLB球団と練習試合を3試合行い、第二ラウンドが行われるアナハイムへ向かった。

 WBC第二ラウンドが行われるのはカリフォルニア州アナハイムのエンゼル・スタジアムである。対戦相手となる第一ラウンドB組は、アメリカがカナダにまさかの敗戦を喫したことで、B組1位はメキシコ、2位がアメリカとなった。この結果により、日本の第二ラウンド初戦の相手はいきなり本命のアメリカ戦となった。カナダ戦に敗れはしたものの、先発がジェイク・ピービ、ロジャー・クレメンス、ドントレル・ウィリス。リリーフにチャド・コルデロ、ジョー・ネイサン、ブラッド・リッジ。野手にデレク・ジーター、アレックス・ロドリゲス、ケン・グリフィーJr.、チッパー・ジョーンズ、マイケル・ヤングら超一流のメジャーリーガーをそろえており、優勝候補筆頭であることは明らかであった。

 

苦難のアメリカ戦

 イチローは、他の選手たちとは違う、特別なモチベーションがあった。「僕の中で、世界一になることとアメリカに勝つことは違いました。別のところに気持ちが存在しているという感じかな。(中略)メジャーリーグは野球のトップに存在しているはずなのに、アメリカに来てみて、自分の想像していた世界ではないということをたくさん感じてしまいましたからね。思った通り、本当にとんでもないところだったら、そうは思わなかったかもしれません。要は力ではなくて、精神的にね、メジャーはかなり劣っていると僕は感じているので、アメリカには負けられないぞっていう気持ちが沸き起こってきたんです。」イチローは日本代表のポテンシャルは相当高いと感じていた。だからこそ、アメリカに勝てないはずがない。イチローはWBCでアメリカを倒し、日本の野球レベルの高さを世界に示したかったのだ。

 ところが、3月12日、アメリカとの初戦。イチローは思いがけない光景を目にする。日本代表の選手たちが、ジーター、Aロッドといった錚々たる顔ぶれのメジャーリーガーを前に、萎縮してしまったのか、バッティング練習を遠巻きにしか見ようとせず、誰もケージに近寄らなかったのである。

 イチローはメジャーリーガーに浮き足立つ日本選手たちを見て心配し、外野フィールドに選手たちを集め、こう告げた

 「あいつら、みんな(野球に関しては)考えてない。でも、まとまってきたらホントに強い。向こうのチームに合わせないで、自分たちの野球をしっかりやろう。(中略)アイツを見て『すげえな』と思ったら勝てないよ。見下ろしていけ。今日を、歴史的な日にしよう」

 イチローは、臆する必要はないと懸命に訴えかけていたが、オールスター級のメジャーリーガーを相手に臆せず戦うというのは、簡単なことではなかった。イチローは、そのことに関しては、内心半信半疑であった。

 「ホントのところを言えば、アリゾナに着いた頃にはみんなの中に自分たちが勝っていくんだという自信があったとは思えませんでした。(中略)(自分たちの野球ができる)自信は最初はみんなにはなかったと僕は思ってるし、でも、何かをきっかけにグッと自信を持つのも確かだと思っていました。」

  3月12日、エンゼルスタジアムで行われた2次リーグ初戦、アメリカ戦。先発は上原浩治とジェイク・ピービー。

 イチローは、アメリカに勝つためには、リードを奪って主導権を握るしかないと考えていた。そこで、最初の第一打席にすべてを賭けた。

 「ピービの2球目、外に決まったストライク。あのコースでは無理でしたけど、次に内側に入ってきたら、狙ってやろうと思ってました」

 その3球目、内に入ってきたボールを思いっきり引っ張ると、打球は一直線にライトスタンドへ飛び込んだ。プレーボールから、1分足らず、アメリカに先制パンチを食らわせる、先頭打者ホームランとなった。イチローのいきなりのHRにより、日本ベンチのムードは「行けるぞ!」という雰囲気に一変していった。

 1回裏の上原のピッチングは、西岡のエラーと、ジーターのバントヒットでノーアウト1.2塁のピンチを作る。しかし、ケン・グリフィーJr.を三振、A.ロッドをダブルプレーに仕留める。良いムードの中、2回も日本の攻撃は止まらない。福留、岩村が出塁し、小笠原がバントで送って、1アウト2・3塁のチャンス。2アウトから川崎が初球をレフトへ弾き返し、2点タイムリーヒット。これで日本が3点をリードした。しかし、その裏、5番チッパー・ジョーンズがノースリーから高めに抜けたボールをセンターフェンスの右に運ばれる。これで3-1。上原は以後はヒットは打たれるものの、四球で余計なランナーを出さず、慎重なピッチングで5回75球1失点で降板。6回裏からは清水がマウンドへ。しかし、1アウトランナーなしで5番ジョーンズを迎えた時に異変が起きる。1ボール2ストライクのカウントで、マウンド上で指を舐めたとして、主審のボブ・デビットソンからボークを取られてしまう。ジョーンズを歩かせた後、6番のデレク・リーを迎えたが、清水はここでも二塁審判にボークを取られてしまう。これでやや進退窮まった清水は、3ボール1ストライクからのインコースのストレートをリーに左中間スタンドまで運ばれてしまう。アメリカに同点に追いつかれてしまった。

 そして、日本にとって悪夢というべき8回表の攻撃が始まった。日本打線はアメリカのジョー・ネイサンから西岡・松中・福留が出塁し、1アウト満塁のチャンスを迎える。岩村がレフトへ浅いフライを打ち上げ、3塁ランナー西岡がタッチアップ。レフトの送球が逸れたこともあり、悠々ホームイン。勝ち越しの4点目が入ったに思えたが、アメリカ側は西岡の離塁が早かったのではないかとアピールを行った。本来タッチアップの判断は、主審の仕事であったが、二塁審判がセーフのジェスチャーをしてしまった。抗議された球審のボブ・デビットソンは、二塁審判と協議の後、なんとアウトのコール。西岡の離塁が早かったとして、一度下された判定が覆されたのである。

 王監督は、この判定について、試合後に毅然として言った。

「一番近いところで見ていた審判のジャッジを、いくら抗議があったからといって、変えるというのはみたことがありませんし、今まで私は日本で長年、野球をやってきましたけれど、考えられない。特に、野球がスタートした国である、アメリカで、そういうことがあってはいけないと思います」

 王監督が抗議を続けている間、選手たちは守りにつこうとしなかった。皮肉にも、日本代表にとって、この理不尽な判定が、選手たちの団結を深めるきっかけとなったのである。

 9回表、多村が三振し、日本のチャンスが潰えると、9回裏、マウンドに上がった藤川から、アメリカ打線は内野安打とバント処理のミス、死球で満塁のチャンスを作ると、A.ロッドは二遊間を抜けていくサヨナラタイムリーを放った。

 アメリカに敗れはしたものの、イチローは試合を通じて選手たちの変化を感じ取っていた。「みんな、やれたはずだと思ってましたね。背中が違って見えましたから。最初に3点取ってイケるかもしれないという自信がわいてくると、こんなにも変わるのかと思うくらい、チームは変わっていった。(中略)あの試合は負けてしまいましたけど、アメリカとあれだけのゲームをやれたことが、その後の僕らのゲームのすべてを作ってくれたんだと思います」

 このアメリカ戦で変わったのは選手たちの気持ちだけではなかった。それまでWBCへの注目度はそこまで高いものではなかった。しかし、この理不尽な仕打ちを受けた日本代表の様子が報道されると、愛国心に火がついた日本のファンからのWBCへの注目が高まっていったのである。

 負けたら準決勝進出の可能性ゼロになる3月14日のメキシコ戦。先発松坂で始まったこの試合は、チャンスを作りながらも序盤は中々点が入らない苦しい展開だったが、4回に小笠原の2点タイムリーで先制すると、さらに里崎が右中間に2ランHRを放ち、4点目。松坂も尻上がりに調子を上げ、その後和田ー薮田ー大塚のリレーで6-1とメキシコに快勝した。

 

韓国戦、二度目の屈辱の敗戦

 3月15日、第二ラウンド最終戦となる韓国戦。韓国はここまで1次リーグから無傷の5連勝と波に乗っていた。13日には、李承燁に4戦連発となるHRが飛び出すなど、7‐3でアメリカにも快勝していた。この試合は日本の渡辺俊介と、韓国の朴賛浩両先発による投手戦となる。

 日本は2回に、2アウト2塁で、里崎のヒットで岩村が本塁を狙うも、またしてもライト李晋暎の好送球により、本塁タッチアウト。以後は互いにチャンスらしいチャンスを掴めない展開が続く。渡辺は3回から6回までパーフェクトピッチング。朴賛浩は3回から5回まで2塁を踏ませぬピッチング。日本打線は6回、チャンスで福留に代打金城を送るなどしたが無得点。試合が動いたのは8回表。7回から登板の杉内から、9番金敏宰(キム・ミンジェ)を歩かせ、1番李炳圭のセンターへのヒットで金敏宰は3塁へ。センター金城の見事な送球で3塁タッチアウトに思えたが、ランナーのスライディングにより、両手で大事にタッチに行った三塁手今江のグラブからボールがこぼれてしまった。この今江のミスにより、1アウト2・3塁のピンチを迎えてしまう。ここで藤川がマウンドに上がるが、李鍾範に2点タイムリーを打たれてしまう。この場面での2点は、あまりにも大きかった。2点を追う9回には、具臺晟から西岡のソロで1点差に迫るも、その後クローザー呉昇桓の前に、代打新井、多村が連続三振。2−1、日本は大事な第二ラウンド最終戦を落としてしまった。

 勝利の喜びを爆発させ、フィールドを走り回る韓国の選手たち。徐在応(ソ・ジェウン)はマウンドに太極旗を突き刺した。対照的にダグアウトで固まって動けない日本の選手たち。テレビカメラには、イチローがまるで吠えるように、怒りの叫びを発す様子が映し出されていた。

 帰途につくイチローは報道陣に囲まれて、沈痛な表情でこう言った。

「僕の野球人生でもっとも屈辱的な日ですね……」

準決勝進出の可能性は、翌日のアメリカ対メキシコ戦の結果次第で残されてはいたものの、大半は日本の敗因を語り、各々が帰国予定を確かめ合ったりしていた。

 王監督は次のような敗戦の弁を述べた。

「わがチームはここまで6試合、持てる力を発揮しました。ただ、こちらの執念を相手の執念が上回ったということでしょう。日本にはそういう意味での課題ができたと思います」

 この時点での日本が準決勝に進むための条件を整理しよう。勝敗数が同じ場合、第二ラウンドの失点率により準決勝進出チームが決められるルールとなっていた。ここでは、メキシコがアメリカに勝ち、なおかつアメリカが3失点以上を喫して初めて日本に準決勝進出の権利が与えられる。この日、準決勝進出の望みが絶望的となったメキシコは、練習をキャンセルしてディズニーランドへ観光に出かけていた。そんなメキシコが層々たるメジャーリーガーを揃えたアメリカに勝つなど、誰もが予想だにしていないことだった。

 

番狂わせのメキシコ

 翌16日、日本代表の面々は、一応準決勝進出の可能性が残されていたため、バスで準決勝の行われるサンディエゴへ向かった。午後四時半、アメリカ対メキシコ戦が始まった頃、川崎が甘々のチョコレートパフェに舌鼓を打つなど、日本の選手や監督たちは買い物に行ったり食事をしたりして、思い思いの時間をすごしていた。そんな中、日本代表の面々は、アメリカとメキシコの思いがけない試合展開を耳にすることになる。

 アメリカのロジャー・クレメンスの先発で始まったアメリカ対メキシコ戦。3回裏、メキシコの攻撃、8番のマリオ・バレンズエラの打球はポール直撃のHRを、一塁審判ボブ・デビットソンはフェアと判定。ベンチのメキシコ選手や会場のメキシコファンは怒りを露わにする。結局、残ったランナーをホルヘ・カントゥが返し、メキシコが先制。

 4回表にバーノン・ウェルズの犠牲フライでアメリカが同点に追いつくが、5回裏のメキシコがホルヘ・カントゥの内野ゴロの間に1点を勝ち越す。そこからは両軍とも攻め手を欠く投手戦となる。9回表、アメリカ打線は最後の攻勢に出る。1アウトランナー1・2塁で迎えるはバーノン・ウェルズ。しかし、ウェルズはサードゴロダブルプレーでゲームセット。メキシコがアメリカ相手に、2−1、番狂わせの勝利を収めてしまった。

 

メキシコの勝因

 メキシコの選手たちは、スター揃いのアメリカ代表と比べるまでもなく、実力・実績ともに劣る面子であった。しかし、リリーフ投手に関してだけは、それなりにメジャーでも実績のある、初見では打ちあぐねるような実力をもった投手たちが揃っていた。現に一次ラウンドではアメリカが勝利しているが、アメリカ打線はメキシコ投手陣から2点しか取れていない。また、アナハイムは地理的にメキシコ国境に近いこともあり、スタンドには代表の帽子を被り、国旗を掲げた熱心なメキシコファンが詰めかけていた。前日にディズニーに行っていたとしても、多くのファンに囲まれていたメキシコ選手たちのモチベーションは高かったわけである。 

 このメキシコの勝利により、1勝2敗で3チームが並び、準決勝進出は失点率で決められることとなった。日本の失点率は0.28。対するアメリカは0.29。つまり、0.01の僅差で日本は準決勝進出が決まった。もしアメリカが後攻で、9回2失点の結果だったら日本の進出は阻まれていた。そのくらいの薄氷の結果だったのである。

 その日夜、急遽日本代表の準決勝進出が決まって開かれた会見にて、イチローは来る韓国戦について次のようなコメントを残した。「(韓国とは)三度目の対戦ですけど、日本が三回も同じ相手に負けることは決して許されないと僕は思っています。(中略)こんなに興奮してグラウンドに立つことは、正直言って、今までなかったし、プロ野球選手になって、こんなにチームとして一つになってやっていきたいとここまで強く思ったことはなかったんです。ですからそんなチームをしっかりと見届けていただきたい。そんな気持ちです」

続いて、王監督が会見場に入ってきた。

「我々としては、他力本願でこういうときを迎えるしかありませんでした。メキシコが頑張ってくれて、首の一枚つながったわけですけど、もうそこを抜けてたわけですから、あとは何も怖いものはない。一丸となって頑張るのみです」

 

準決勝、韓国戦

 3月18日、サンディエゴのペトコ・パークで行われる準決勝、韓国戦。王監督は不動と言っていた1番イチローの打順を変更し、3番に据えた。代わりの1番に青木を入れ、福留をベンチに。6番には負傷した岩村に変わり、今江が三塁でスタメン。先発は日本が上原、韓国は前年メジャー8勝の右腕、徐在応(ソ・ジェウン)。日本打線はイチローの二度の盗塁成功などチャンスを作るが、中々一本がでないもどかしい展開。一方の上原は2回以降韓国打線に2塁を踏ませない完璧なピッチング。ストライク先行でカウントを整え、普段投げないスライダーを多投し、上原にフォークのイメージを持つ韓国打線の意表を突いた。

 試合が動かないもまま、6回の攻防が終了した。迎えた7回表、松中が見事な内角捌きを見せてライトへの2ベース。松中はヘッドスライディングで到達したセカンドベースを左手で殴りつけて喜びを表す。

 多村のバント失敗の後、1アウト2塁で今江の打順。ここで王監督は代打に福留を送り出した。マウンドはコリアン・サブマリンと呼ばれた金炳賢(キム・ビョンヒョン)。福留は3球目、真ん中低めのボールを捉えると、ボールはライトスタンドへ吸い込まれていった。

生き返った福留。値千金の先制2ランホームラン。まさに日本を救う一発となった。お祭り騒ぎとなった日本ベンチ。そんな日本ナインに釘を指すかのように、韓国側は次打者小笠原へ明らかに報復ととれる死球を与えた。しかし、この死球は結局日本打線につけ入る隙をあたえたに過ぎなかった。里崎に2ベース。宮本・イチローと続けざまにタイムリーが出て、この回日本は一挙5点を獲得した。

 上原は7回裏を三者連続三振に打ち取り、完全に流れを日本のものとした。8回には多村のソロHRも飛び出し、薮田・大塚とつないで韓国打線を完封。ついに3度目にしてようやく韓国を倒し、決勝進出を決めた。この試合の日本でのテレビ中継は、瞬間最高で50%を超えるという盛り上がりを見せていた。

 試合後の会見で、イチローは充実感と高揚感に満ち溢れていた。「勝つべくチームが勝たなくてはならない、そのチームが僕たちだと思っていましたから、本来、当然と言わなくてはいけないのですが、二回負けていましたから、今日負けることというのは、日本プロ野球にとって大きな汚点を残すことと同じですから、最高に気持ちいいですね」

 

決勝戦 キューバ戦

 決勝の相手のキューバは、準決勝でプホルス・オルティスらメジャーリーガーを揃えた強打のドミニカを1点に抑え、3-1で勝利していた。アマチュア最強と呼ばれるにふさわしい試合巧者ぶりを見せたキューバの選手たちは、すべてキューバ国内リーグの選手たちで揃えられていた。その中にはユリエスキ・グリエルやフレデリク・セペダといった後にNPBに所属する選手たちの名前もあった。

 MLBとMLB選手会の肝いりで始まった本大会だったが、決勝に出場するメジャーリーガーは日本のイチローと大塚だけという、皮肉な組み合わせとなった。

 決勝のキューバ戦が始まった。いきなり、日本打線に火が付いた。初回、先発のオルマリ・ロメロから2番の西岡が塁に出ると、イチローがバントで揺さぶっている間に西岡が盗塁を決める。イチローは四球、松中が内野安打で1アウト満塁のチャンス。代わった2番手のビチョハンデリー・オデリンは5番多村に死球を与えてしまい、日本が先制。さらに小笠原の押し出し四球、今江の2点タイムリーが出て、日本は幸先よく4点を獲得する。対する日本のマウンドは松坂。松坂のボールは高く抜け気味で、先頭のエドゥアルド・パレに先頭打者HRを打たれてしまう。それでもグリエルを三振に打ち取るなど何とか初回を乗り切った。以後もランナーを出しながらも、要所は威力あるストレートで三振を奪いピンチを乗り切る。日本打線は5回表、イチローが2ベースで出塁し、松中のヒットでチャンスメイク。イチローは多村の内野安打で生還。さらに小笠原の犠牲フライで6点目を獲得した。5回裏からは渡辺が登板。しかし、ここからキューバの猛反撃が始まる。6回裏、松坂に代わった渡辺から、川崎のエラーでグリエルが出塁すると、三連打で2点を入れる。さらに8回裏、ノーアウトからグリエルが内野安打で出塁すると、ここで渡辺から藤田へスイッチ。4番のボレロをレフトフライに打ち取るが、今大会絶好調のキューバの至宝、セペダにレフトスタンドに飛び込む2ランHRを浴びてしまう。ついに1点差に追い上げられた日本代表は、ここで8回ながらクローザーの大塚を投入。ここで大塚はキューバの反撃を断ち切る。9回表、日本代表は金城の内野安打と西岡のバントヒットで1アウト1・2塁のチャンス。ここでイチローがライト前へヒットを放つと、2塁走者川崎がホームに突っ込む。ライトからの返球とキャッチャーのブロックによりアウトかに思われたが、川崎はキャッチャーの股の間に右手を滑り込ませてホームイン。このプレーはのちに「神の右手」と賞賛された。さらに代打多村のタイムリー、小笠原の犠牲フライで日本は10点目。追い上げてきたキューバを突き放した。

 最終回、ストッパー大塚がマウンドへ。大塚は8番ペスタノに2ベースを打たれ、パレにタイムリー内野安打を打たれるも、後続のエンリケ、グリエルを連続三振に抑えた。

 大塚はグリエルを打ち取った瞬間、両手を天に突き出した。大塚と里崎が抱き合い、ベンチから選手たちが駆け寄って来る。選手たちはグラウンドで飛び跳ねるように喜びを表現した。

 WBC、第一回の優勝国は、日本。日本が野球の世界一に輝いた。ベンチからやってきた王監督に、里崎がウィニングボールを手渡すと、王監督の胴上げが始まった。

 サンディエゴの夜に、紙吹雪が舞う中、王監督がマイクに向かってこう言った。

「日本の野球をこういう最高の形でアピールできたことを本当にうれしく思っています」

 WBCのベストナインには、松坂、里崎、イチローの3人が選ばれ、第一回のMVPは大会3勝を挙げた松坂が選ばれた。

 

イチロー、最高の瞬間

 グラウンドから姿を消す直前、イチローは両手で指揮者のマネをしてスタンドからのイチローコールを盛り上げてみせた。その間、仲間と抱き合い、世界の王を胴上げして、メダルをかけてもらい、日の丸を手に高々と掲げた。

 「終わった後の日の丸は、僕が持つしか絵にならないだろうと思っていたので、願ったりかなったりでした。監督は、重かったですねぇ……僕は、世界の王選手を世界の王監督にしたかった。それがすべての始まりでしたから、その充足感はありましたよ」

 日の丸を手にしたまま、王監督のもとへ歩み寄ったイチロー。その時、風がイタズラをして、二人を日の丸がふわっと包み込んだ。その中で、イチローは王監督の言葉を耳にした。

 『ありがとう。君のおかげだ。』「最後にそう言ってもらったことが、僕は何よりも嬉しかったんです。日本であれほどのスーパースターでありながら、それでも選手を立ててくれる。本当に凄いと思いました」

 君のおかげだーー イチローは、王監督のこの一言で、全てが報われた気がしたという。

 

参考文献

主要参考文献

・石田雄太著『屈辱と歓喜と真実と 報道されなかった”王ジャパン121日間の舞台裏”』

他参考文献

・『スポーツグラフィック Number 650号2006年4月13日号』文藝春秋社
・『スポーツグラフィック Number 669号2007年1月18日号』文藝春秋社
・『週刊ベースボール 別冊 皐月号 「王ジャパン世界一!」
World baseball classic 日本代表総決算号』ベースボール・マガジン社
・コータ 『WBCの内幕 日本球界を開国した人々』WAVE出版

 

(おまけ記事)第一回WBCの勝因と2023WBCについての展望

 

 今回は、2006年の第一回WBCについて振り返ってきた。本章ではブログ限定の内容として、第一回WBCの勝因と、それらに基づく2023年3月に開催されるWBCについての展望について個人的な見解を述べていく。

第一回WBCの勝因

 第一回WBCの勝因についてだが、幸運と巡り合わせの良さ、およびアメリカ戦でのチームの団結、この2点を挙げる。

 本選で3試合、韓国相手に2度も敗戦を喫していながら、準決勝まで進出することができたのは、幸運という他ない。特にアナハイムでの第二ステージでは、アメリカの不調が日本に功を奏した。戦力的にアメリカは圧倒的な優位性をもっていたものの、やはり初回(しかも彼らはオリンピックでの経験もない)ということもあり、寄せ集め感は否めなかった。先発ドントレル・ウィリスのカナダ戦、韓国戦の2度の炎上。打線もケン・グリフィーJr.、デレク・リーら一部選手のHR頼みになった面は否めず、戦力の充実と裏腹に、一点を奪い取る執念に欠けていた。日本戦についても、あのボブ・デビットソン審判の疑わしい判定がなければ、どうなっていたかは分からない。日本・韓国・メキシコと戦力的に劣るチームに苦戦を強いられたのは、チームとしてのモチベーション・一体感が低かったことが大きいように考えられる。逆にアメリカが本来の実力を発揮し、日本・韓国・メキシコを圧倒して1位通過していれば、韓国に敗れて第二ラウンド敗退。という結果もあり得ただろう。

 次に、アメリカ戦でのチームの団結を挙げる。元々日本代表も、チームとしての一体感に欠ける一面があり、オリンピックでの代表経験者、未経験者、メジャーリーガーなどにそれぞれカルチャーギャップがあった。国際試合独特の戦い方を知らず、緊張感に欠けるメンバーや、WBCよりシーズンを重視すべきではないかという選手の戸惑い、メジャーリーガーを多く抱えるアメリカへの劣等感。最初の大会である第一回WBC日本代表は、こうした心理的・モチベーションの不安面を多く抱えていたのである。そんな選手たちの一体感を強めたのがアメリカ戦だった。まずイチローの先頭打者HRと、2回の川崎のタイムリーで日本代表は一時3点のリードを取った。このリードにより、日本代表の選手たちは、それまで劣等感を感じていたアメリカチームへ精神的に優位に立つことができた。さらに、8回、ボブ・デビットソン主審が日本の得点を覆した時、理不尽さで怒りを感じた日本代表の選手たちに一体感が生まれた。理不尽な判定への怒り、加えてドリームチームのアメリカに善戦したことにより、日本代表は団結と自信を深め、より本気で戦おうという姿勢を見せるようになった。そういう姿勢を作るためにチームを引っ張ったのは、メジャーの世界で戦うイチローであり、親身になってメンバーを支えたのは、アテネ五輪でキャプテンを務めた宮本慎也だったのである。彼らの存在はチームの心理的な支えとなるためには必要不可欠な存在だったのである。

2023年WBCの展望予想

 2006WBC日本代表の勝因について振り返りができたところで、次に2023年のWBC日本代表の戦いについて、個人的な予想を述べていく。

 今回の代表メンバーは、歴代の日本代表メンバーと比較しても、最強のメンバーと言われる。メジャーリーグで二刀流として投打に大活躍している大谷翔平と、ダルビッシュ有、鈴木誠也、千賀滉大、吉田正尚、ラーズ・ヌートバーといったメジャーリーガーも、三冠王村上宗隆、投手タイトルを総なめにした山本由伸、完全試合を達成した佐々木朗希と、豪華なメンバーが顔を揃える。しかし、同時にアメリカ・ドミニカといった国々も過去に例のない豪華な面子を揃えてくることが予想されており、日本がそれらの国々より戦力的に勝っているとは必ずしも言い切れない。また、2006年のアメリカ代表の結末を見ても分かる通り、野球は短期決戦では、戦力的に優位なチームが必ずしも勝てるとは限らない。特に投手戦になった場合、戦力的に劣るチームが勝っているチーム相手に番狂わせを起こしてきた国際大会の事例が数多く存在する。(2004年アテネ五輪日本対オーストラリア、2006年第一回WBCアメリカ対メキシコなど)

 このように、個の力で勝るチームに対抗し、かつ格下のチームに隙を見せないために、個人的にはチームとしての一体感が重要になると考える。そのために、寄せ集めただけのチームにならないために、選手間の団結を高める必要がある。今回は大谷やダルビッシュ、ヌートバーといった近年の国際大会に出場していない選手たちが参加する。彼らをチームに浸透させるため、少しでも早いチーム合流が期待されるが、2月下旬のキャンプ参加・壮行試合出場が不透明な報道がされているのは心配材料である。少しでも多くの選手が合流し、チームの一体感を高める機会を多く持つことを期待する。

 何があるか分からない短期決戦。特に今回は第一ラウンド終了後の準々決勝以降はトーナメント制になっており、敗戦が許されない厳しい戦いとなる。組み合わせ的に第一ラウンド突破こそ容易に感じられるが、準々決勝での対決が予想されるオランダやキューバ、準決勝で戦うことになる北中米の国にあっさり敗戦して終戦する可能性も十分に考えられる。東京五輪で金メダルを獲得し、歴代最高の面子が集まったことで期待値も大きい。そうしたプレッシャーを跳ねのけて、少しでも長く日本代表の素晴らしい戦いを見せてくれることを祈っている。

 

泉シロー 2023年1月15日

DAZN

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